2013年5月9日木曜
このブログは、週ごとに閲覧者などの統計を見られるようになっています。この統計を見るのが小さな楽しみでして、どの記事がよく読まれているのかとか、iPadで閲覧している人が意外に多いなどの情報から、どんな方が読んでくださっているのかを想像して、時々にやにやしています。
個人的にブログのことをお伝えしたのは一握りですので、継続して読んでくれているのは親族や近しい友人のみと理解しています。ですので日本以外、例えばアメリカやオーストラリアの閲覧数が多いと、「これは赤の他人様が読んでくれているか、検索で引っかかって迂闊にクリックしてしまったんだな」と解釈して、ほくそ笑んでいます。
そして今週。久しぶりにブログを開いてみたところ。
パキスタンて!!
そしてカザフスタンて!!
このブログ内のどの単語がどんな検索に引っかかったのか、謎です。
謎は謎のまま置いておくとして、ご無沙汰しております。お変わりなくお過ごしでしょうか。
前回の記事から2週間以上経ってしまいました。
この2週間は、新居と新しい仕事に慣れるのに精一杯な日々でした。
掘っ立てトイレ&シャワーは初日で慣れきったのですが、家具の調達や掛け持ちで始めた仕事などで、気持ちと時間に余裕がなくなっていました。その後、中古やディスカウント店などでベッドやデスクなどを揃え、生活環境はまぁまぁ整いました。仕事からくるストレスはまだ解決を見ませんが、これは気の持ちようかなと一旦納得。過去と他人は変えられません。
そんなストレスまみれの私を友人が遠足に連れ出してくれて、本日はダンデノン丘陵へ行ってまいりました。メルボルン市内から車で1時間弱、天気にも恵まれ、お手軽な登山が楽しめるコースでシダの緑とスコーンを堪能してきました。
(※アップロードする際にトラブルが発生しましたので、ダンデノンの写真は後日あらためて)
お目当ての『1000 Steps』は、本当に1000段あるわけではないようです。
シダ植物が鬱蒼と茂る中を、ツルツル滑る階段を下りていきました。すれ違う人たちは「ジョギングついでに登りに来ました」と言わんばかりの服装が大半でしたが、せめて靴はしっかりしたものを履いていきましょう。本当に滑りまっせ。
この登山道は、Kokoda Track Memorial Walk という名前が付いています。
第2次世界大戦中(1942年)、パプアニューギニアに上陸した日本軍との戦闘が繰り広げられた際にオーストラリア軍が進撃したルートが、今でも現地に Kokoda Trail として残っているのだそうです。そしてダンデノン丘陵にあるこの『1000 Steps』登山道にKokodaの名を冠し、戦没者慰霊の碑を建てました。ここだけの話、このココダ戦だけで日本軍13,500名、オーストラリア軍2,000名超、米軍1,000名超の犠牲者を出したのだそうです。
話は少し逸れますが、4月25日はANZAC Dayといって、オーストラリアおよびニュージーランドの戦没者慰霊の日でした。従軍した元兵士が勲章を付けてパレードしたり、メモリアル特番が放送されたりと、普段は意識しない日本とオーストラリアの過去の関わりについて考えさせられました。かつての敵国への恨みや憎しみを再燃させるのではなく、ましてや新しい世代に負の感情を植え付けるのではなく、祖国のために戦った人たちへの敬意と、否応なしに戦火に巻き込まれた人たちへの思いやりを共有するのが戦没者慰霊の根幹だと私は思います。
そんな歴史を噛みしめつつ、適度な運動の後はマープルおばさんのティールームへ。
アガサ・クリスティが世に送り出した元祖おばさん探偵ミス・マープルが、瀟洒なティールームの壁を埋め尽くしていました。
こっち側の壁にはマープルおばさんはいません。 |
ザ・おばさん探偵 ミス・マープル! 私はポワロ派なので、読んだことはありません。 |
そうそう、探偵と言えば虫眼鏡でしたよね。(今は何でしょう。カードサイズPCとかですかな)
そして虫眼鏡と言えば、よく床に新聞を置いて虫眼鏡で読んでいた祖母を思い出します。
天気の良い日などは、新聞が発火しやしないか
予想に反してあたたかくふっくらしたスコーンをいただいて、リフレッシュして下界に戻ってきました。
スコーン以外にも美味しそうな料理がちらほら見えたので、またマープルおばさんに会いに行きたいものです。
ダンデノン丘陵と言えばパッフィンビリーという蒸気機関車も目玉の一つのようですが、それもまた別の機会に。
また明日からちばりよー。
スコーンと言うよりは、甘くないパウンドケーキみたい。 ジャムとホイップクリームをのせていただきます。 |
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