Life is a Journey

Life is a Journey. Wouldn't you agree?

森羅万象是我師也

生きている、生かされている。Nothing should be taken for granted.

What did Mark Twain say?

“Twenty years from now you will be more disappointed by the things that you didn't do than by the ones you did do. So throw off the bowlines. Sail away from the safe harbor. Catch the trade winds in your sails. Explore. Dream. Discover.”

Fortes Fortuna Adiuvat

Brave is in you.

Journey Never Ends.

いつだってここがスタートライン、今がベストタイミング。だから合言葉は、CARPE DIEM!!

2013/03/26

Day 148: 恋しやニッポン/Hallelujah NIPPON!

2013年3月26日火曜

リッチモンドにある新しいシェアハウスでリビングルーム生活を始めて、早くも1カ月が経過しました。

シェアメイトの男の子は2人とも日中不在ですし、リビングに住む際の最大の懸念事項であった「プライバシーの欠如」に関しては、特に文句はありません。むしろ、いつもリビングにいるので、シェアメイトとの挨拶から雑談から「一本いっとく?」的なお誘いまで、コミュニケーションはそこそこ取れていると思います。”誰かと住んでいる”という感覚が欲しい方は、リビングの主になるのも一策かと。

しかし、多少の不満もなきにしもあらず。

シェアメイトの片割れの彼女さんが、無断で私の食材や酒に手をかけることとか。
シェアメイトの片割れの彼女さんが、使った食器を洗わずに放置することとか。
シェアメイトの片割れの彼女さんが、深夜に情緒不安定で泣き出した時に、なぜか私が外に連れ出して慰めてたこととか。
シェアメイトの片割れが飲み散らかした大量のビール瓶を、私が捨てに行く羽目になることとか。
そして、シェアメイトの片割れとその彼女さんの、その・・・ピンクな声とか。(それも半同棲状態なので、ほぼ毎日)

悪い人たちではないんですけどね、シェアメイトの片割れとその彼女さん。
プレステ3のGuitar Hero(ギターヒーロー)というゲームをやらせてくれたり、近所に飲みに行くときに誘ってくれたり、家でサイダー(日本でいうチューハイ的なアルコールです)を飲むときに「一本いっとく?」と手渡してくれたり。悪い人たちではないですし、常識もあるんですが、ちょいとお熱いズボラさんなんですな。


おっと、すみません。
「不満」の2文字を打った途端に、色々と溢れ出てしまいました。

閑話休題。というか本題。

以前、ここリッチモンド(正確にはノース・リッチモンド)にはベトナム人街があると書きました。八百屋やスーパーもアジア系なので、食材には不自由しません。日本では聞いたことのないブランド名の日本食調味料も置いてあります。が、近所を走る目抜き通りをずっとずっと歩いていくと日本のスーパーがあると聞いたので、散歩がてら行ってみることにしました。

Googleマップで確認したところ、徒歩で52分の距離です。この距離をして「歩いていくと着くよ」というアドバイスをくれた友人のアバウトさには恐れ入ります。そしてドンドコドンドコ歩いて行ったら、本当に52分で着きました。私の歩行速度はGoogle的標準ということですね。

お店の名前は、フジマート(Fuji Mart)。富士山の富士かと思っていたら、峰不二子のほうでした。メルボルンで一、二を争うオシャレなデザイナーブティック通りチャペル・ストリート(Chapel Street)沿いの、プラーン市場(Prahran Market)の裏手にあります。

不二マートさん。
月曜は5%オフでラッキー。

店内は、100円ショップと田舎のコンビニ兼スーパーとお土産屋を足して3で割って酒屋が出張してきたような感じでしょうか。ここ1~2年停滞気味だった購買意欲に火が付きそうになるのを必死に抑えながら、すべての棚をくまなく見て回りました。

いや~欲しいなぁ、ふくれっこ!
大福も食べたい!黄金のたれなんかもあるといいよね!

右肩の天使にも左肩の悪魔にも「買っちゃえばいいのに~♪」と囃し立てられているかのような心情の中、購入したのは下記の品々。

きしめん 270g ($1.12)
浅漬けの素(粉末) ($1.63)
バーモントカレー 中辛 125g ($1.92)
ポッカ ピーチティー 1.5リットル ($2.07)
日本酒 上善如水 300ml ($13.20)
日本酒 獺祭 磨き5分 300ml ($15.33)

せんべいやお菓子類は、「日本に帰ったら」のおあずけ我慢。
米や調味料は、持ち帰るには重過ぎるのでギブアップ。
「日本に帰ったら」も「重過ぎる」も聞く耳を持たない日本酒は、居酒屋で飲んだら2倍取られるのでここで買っとけ戦法です。

全体的に値段は悪くないと思います。100円ショップ的グッズは$2.50均一でしたので、$2.80均一のダイソーよりお買い得です。

不二マート、Googleマップ目的地への登録決定!


というわけで、まぁ。
日本が恋しいというよりは、日本の味覚がちょっとだけ恋しいかな、と。

それが高じたわけではないですが、日本食居酒屋で面接を受けてきました。
明日、研修1日目です。かまずに「いらっしゃいませ」って言えるかな~。



2013/03/23

Day 145: アースアワー2013/"I Will If You Will"

2013年3月23日土曜

そろそろ東京の桜も本格的な見頃を迎えている頃でしょうか。
メルボルンはめっきり寒くなりました。
日中の最高気温は20度後半に達するものの、一日の大半は半袖か長袖、夜は布団をかぶって寝ています。

そして今日は、Earth Hour(アースアワー)の日ですね。ご存知の方も多いと思いますが、これはみんなで一斉に一時間だけ消灯しましょうという、WWF主導の対地球温暖化アクションです。現地時間で夜8:30~9:30がアースアワーですので、日付変更線の西側から徐々に、サッカー応援のウェーブのように消灯の波が地球を巡ります。

タイトルの"I Will If You Will"は、「あなたが動くなら私も」という交換条件的なアクション提示ですが、たくさんの人たちがなかなか面白い呼びかけをしています。

たとえば、欧州委員会環境担当委員である、スロベニアのJanez Potočnik(ヤネス・ポトチュニック)氏曰く―――
『最低一週間は自家用車を使用しないと1000人が約束してくれたら、1000人の前で自作の歌を歌います』。
これは賛同者不足で実現には至らなかったようですが、自作の歌なんて聞きたくないという票が(以下自粛)

またたとえば、日本にも進出しているフランスの大手スーパー・カルフール曰く―――
『レジ袋は不要ですと1万人のお客様が言ってくれるなら、様々な"I Will If You Will"アクションを展開していきます』。
ビデオを観ると、カルフール社員がそれぞれにアクション宣言を出しているようです。ちなみにこれは10,079人が賛同済みですので、実行決定です。

他にも、『今年はしっかりリサイクルすると1万人が約束してくれたら、彼氏にプロポーズします』(未達成)とか、『アースアワーに参加すると1万人が約束してくれたら、1.3kgのグミを食べます』(実行決定)とか、『1週間、公共の交通機関のみを使用すると5千人が約束してくれたら、体一つで96階建てビルを登ります』(実行決定)とか。

上記のポトチュニック委員がアクション宣言ビデオで仰っていましたが、小さな一歩でいいんです。小さな一歩を個人が行うこと、そしてそれを継続することが、やがて大きな流れを作るのだと。日本でもお買い物袋や水筒、マイ箸など、エコなトレンドは前々から始まっています。それでいいんです。


ちなみに、こちらのYouTube映像で日本を含むアジアの一部地域でのアースアワーの様子が紹介されていますが(日本は2:20からです)、これだけ見ると、日本ではあまり大々的なアクションにはつながっていないような印象を受けます。香港などは元々派手なイルミネーションによる夜景を売りにしているだけあって、「おぉ、消えた!」という劇的な視覚効果があるのですが。

列島全体の形がくっきり見えるほどの電力消費大国ニッポンです。「電気を消す」というお祭りがあってもいい気がしますよ。


今夜1時間だけ明かりを消して、月明かりやローソクの火だけで過ごしてみてはいかがでしょうか。




2013/03/18

Day 139: 去りゆく夏の日/Farewell Summer days

2013年3月17日日曜

今日も風に乗ってレーシングカーのうなりが聞こえてきます。

メルボルンの中心部から遠くないアルバートパーク(Albert Park)というところで、ここ数日、オーストラリアF1グランプリが開催されています。私が住んでいるリッチモンドから5.8kmの距離にあってなおこんなにはっきり聞こえてくるのですから、会場にいたらものすごい爆音なのでしょう。

それにしても、F1開催に合わせたかのように天気が悪くなったのは残念でした。
先週までは35℃超えの日々が続き、扇子を片手に、寝苦しい夜に辟易していたのです。それなのに、昨夜は寒くて毛布をしっかりかぶって寝ました。ちなみに、このアパートに越してきてから、リビングの窓が閉められたことは一度もありません。外気温そのままの生活です。

ついさっきも雨の合間を見計らって近所へ買い出しに行ってきたのですが、道行く人は長袖に帽子の秋冬ファッションです。ついでに、4割の人が花柄のショッピングカートで買い出しファッションでした。そう言う私は、長袖パーカーにサンダルのどっちらけファッションです。ザ・休日のお父さん、または近所のヤンキースタイルでございます。

メルボルンは夏から秋に移り変わっています。
渡豪してもうすぐ5カ月経つことを考えたら、そりゃ季節も変わらにゃいかんのでしょうけれど。
正直なところ、もうちょっと夏が続いても良かったかなー、と思います。寒いのは面倒です。そして防寒服もほとんど持って来ていないんです。買うのも面倒だし、荷物も増えるし。
『喉元過ぎれば熱さを忘れる』の典型ですな。あんなに暑い暑いとぼやいていたのが嘘のように、今は「カムバック、夏!!」の全力アンコールモードです。

・・・そうやって夏にしがみついて薄着でいたら、腹を下しました。


でも、豚の角煮を作ったので、下してる腹は一旦おいといて。
シェアメイトカップルとイギリスのコメディドラマを観ながら、のんびり日曜の夕方を過ごしました。



からしではなく、わさびマヨで。
甘めの角煮になったので、程よく相殺されました。

2013/03/16

Day 138: 日給6ドル/Paid the pay

2013年3月16日土曜

人は一生の間でどのくらい仕事をするのでしょう。

時代が変われば仕事の定義も変わりますし、何より個人の主観や価値観が「仕事をしている」という意識そのものを大きく左右します。

羊飼いは「仕事」なのか「生き方」なのか。
医者は「仕事」なのか「使命」なのか。
画家は「仕事」なのか「趣味」なのか。

仕事っていったい何だろう?


こんにちは。
月刊小学2年生で特集されそうな疑問をふと真面目に考えてしまう、
絶賛無職満喫中の小学26年生です。

が、この一週間は、2つほど仕事をしました。

1つめは日曜夕方、ウェディングの二次会的なイベントでのウェイトレスでした。
人手不足でバタバタしたものの、終了後の軽い達成感とスタッフ打ち上げで飲んだお酒は格別でした。

2つめは、火曜午後に降って湧いた翻訳の仕事。
知人絡みではなく、かつお金をもらう翻訳という点で、これが生まれて初めての個人的な翻訳の「仕事」になります。ついにフリーランス翻訳者への第一歩か!と軽く小躍りしたのはいいのですが、蓋を開けてみたらどえらい量でした。14,000ワードの英文を26時間後の締め切りで受け取る私が全面的に悪いです、はい。

結局、締め切りの延長をお願いし、丸3日かけて提出し終えたのが金曜昼前。
その3日の間に摂ったのは、正味6時間の睡眠と、梨3個と、1.5リットルの麦茶でした。無茶すればいいってもんでもないのですが、とにかくひたすらPCとにらめっこしていました。
シェアメイトの二人が出勤前と帰宅後に「まだやってるの?マジで?」と何度も言いながら心配してくれたのが有り難かったです。

そして、労働のあとのご褒美。

日曜のバイト代を昨日受け取ったら、112.50ドルでした。7.5時間働いたことになっているので、時給15ドルの計算になります。でも、最後の2時間はスタッフで飲み食いしていただけだし、お土産に日本酒の小瓶までもらってきちゃったのに。
なんだか悪いわ~、でもラッキー♪

対して、丸3日の荒行で得た翻訳の対価は、18ドル。
時給じゃありません、14,000ワードの対価が18ドルなんです。ちーん♪
量や納期を考えるともはやボランティアですが、これも自業自得。

自分打ち上げと称して、食材やモスカトワインやお菓子を買ったら、3日分の労働の対価はきれいさっぱり消えました。

さて、次の仕事はなんだろな♪





豚肉を買ってきて作ったチャーシューと、
生まれて初めて自主的に購入したネギがポイントです。
どうしちゃったんでしょうか、私。



ラーメンに入れたのは、その名も『牛筋丸』。
歯ごたえのある肉団子で、好きなんです。
開封部分が小さすぎて、無理やり押し出そうとしたら
凍った牛筋丸が右目を直撃しました。
なかなかやるな、牛筋丸。

2013/03/11

Day 133: あれから2年/Reminiscing 311

2013年3月11日月曜

18,000人超の死者・行方不明者を出した東日本大震災から、2年が経ちました。
先ほど、日本時間の午後2時46分に合わせ、1分間の黙祷を捧げました。

地震発生の瞬間のことは、今でも体が覚えています。
社内のクリーンデーで不要書類の片付けをしていた時でした。積み上げた段ボール箱の前で同僚にしがみつき、まっすぐ立つこともしゃがむことも出来ずに、眼前のガラスの壁がこんにゃくのようにしなるのを凝視していました。
その後、2回の屋外避難を経ていわゆる"帰宅困難者"の仲間入りはしましたが、楽に自宅までたどり着いた方だと思いますし、自宅の被害も軽微でしたし、家族や友人・知人の無事も確認できました。

しかしその後、テレビから溢れてきた映像には絶句するしかありませんでした。
あの津波の映像を観ていた世界中の誰もが同様であったと思います。

ついさっきまで「普通」で「当たり前」であったことが目の前で壊されていく衝撃が、そしてそのとてつもない破壊力が今にも自分に届きそうな恐怖が、私のように想像力の乏しい人間にも分かりやすい形で、現実という最悪の形で、テレビの向こうで広がっていました。

その後の混乱と自衛隊や各国から派遣された救助隊の方々の活動は私がわざわざ繰り返すまでもありませんが、この震災で、未来に対する自分の考え方が少し変わりました。

このプロジェクト31の基本姿勢である Carpe Diem も、その時に強化された意識のひとつです。
明日もまた同じ景色を見られる保証など、どこにもないのです。
自分に何も起こらなくても、自分以外の大切な何かに大きな転換があるかもしれない。
いつでも言えるはずだった「元気?」を言う術を、明日突然、永遠に失うかもしれない。

「あなたが無為に過ごした今日は、昨日死んでいった誰かがあれほどまでに生きたがった明日」という韓国の言葉があるそうですが、無為でも無茶でも無駄でも無意味でもいいから、今日という日を後悔しないように生きたいと強く思います。

そんな思いを抱えて、一年前の今日、このブログを始めました。

一年前の私に恥ずかしくない生き方をしているか、
二年前の私が受けた衝撃を忘れずにいられているか、
そして一年後の私が納得できるような日々を過ごしているか。

たまには少しだけ真面目に反省しつつ、Labour Day(勤労感謝の日)*の夜を過ごしています。

あらためて、東日本大震災で命を落とされた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災され、今もって不自由な生活を強いられている方々に心よりお見舞い申し上げます。



* オーストラリアの Labour Day(勤労感謝の日)は、州によって日付がまったく異なります。ここビクトリア州とタスマニアは今日でしたので、この週末は三連休でした。


祈ろう、
日本のために



2013. 3. 11 Mon.

--- Pray for Japan.

Two years ago, on March 11th, the biggest earthquake ever recorded in Japan has hit the northeastern region. The enormous waves of tsunami triggered by the quake have literally washed away the coastal towns, claiming over 18,000 lives.

I myself was at work, and it was supposed to be just another Friday with some weekend plans to look forward to. When the earthquake hit at 2:46 p.m., a coworker nearby and I held each other so tightly for a support, as it was impossible to stay standing straight. We were standing next to a big glass wall which was bending back and forth like a flower in the wind, and I kept staring at the glass wall so we can dash away in case the glass should break.
It felt like forever.

That night, despite all the public transportations broken down and the government's call to stay in office if possible, I took a chance and tried to walk home. I stepped out of the building and saw hundreds of people in suits, with some wearing helmets and aluminum blankets, trying to get home just like me. (Sankei news reported that the estimate number of such people was 5.15 million in Tokyo and surrounding area.)

It was almost surreal. So many people crowded the streets leading to Shibuya station, one of the major hub stations in Tokyo, yet there were no yelling or crying or pushing. People kept calm and no one seemed panicked or hysterical. Some stores and restaurants, even office buildings, had opened up their space and toilets for people to use. Almost all the ready-to-eat foodstuff in convenience stores were gone, but there were no fightings over scarce resources. People lined up in a queue, just like they would at any given time.

That night was only the beginning, and I had no idea what was going on in the northeastern Prefectures. The video footages showed houses, cars, tankers, schools, hospitals, city halls, and everything being washed away like a wave erases a word written in the sand. Many people survived, many didn't. A boy saw his father driving towards the school to pick him up after the quake; and he saw the car being swept away by the tsunami. A young woman at the town office kept urging people over loudspeakers to run to higher ground until the very last minute, and lost her life in tsunami.
Similar stories were found everywhere.

It was a tough time.
I jumped up in my chair every time the earthquake alarm went off on every mobile phone around me; and it made my heart to sink to imagine how people in the affected regions must have reacted to the dreadful alarm. The explosion at Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant was a rock salt rubbed into the bleeding wound. That really didn't have to happen.

Amid all the devastation and desperation, however, we kept receiving strong and heartfelt words of condolences and prayers from all around the world. "My heart goes out to you," they said, and that they trust Japan would overcome this unprecedented catastrophe. The official offers for assistance we received from 128 countries and 33 international organizations is already enough to thank for, but private messages and aids from individuals across the globe have never ceased to touch my heart to this day. I have seen messages on YouTube and Facebook, coworkers from overseas offices sent us warm messages, and I even received a personal offer to help accommodate a student from affected area.

People prayed for Japan.
And I have been overwhelmed with gratitude.

As I mentioned in my very first article of this blog (Introduction), this catastrophe has made me reaffirm my Carpe Diem attitude. Nothing remains the same, and every day is a chance given. Nothing is guaranteed for tomorrow, and I may never get to see what I see now and take for granted. I may regret sparing a simple "how are you?" to the ones I care.

So, I shall seize the day, for today is the day that someone who died yesterday wished so badly to live.
I shall be grateful, be responsible, be compassionate, be open-minded, be attentive, be friends, and be myself, at my own risk.

Carpe Diem!



2013/03/08

Day 130: オージーファッション/Fashion in down under

2013年3月8日金曜

今日は国際女性デーですね。
男女平等が声高に叫ばれるようになって久しく、現代の日本人として生まれた私は先人達の努力の成果を当然のように享受して生きています。

時々、男女平等という言葉そのものを不思議に思うことがあります。
はるか昔、生きることが第一目的であった時代は、例えば「男ばっかり狩りに行ってずるい」とか「女ばっかりイモや木の実を採っててずるい」とか言ってる場合ではなかったはずです。文明が発達して、頭脳や知覚など比較的性差のないフィールドで能力を競うことができるからこそ叫ばれる“平等”なのだろうと思うのです。
ですが時折、無用で無茶な“平等”のゴリ押しを見かけます。女性にも“平等”の機会を与えるために、消防士になるための試験で女性にだけ電気オノの使用を許可したなどという話を聞くと、どこかズレている感じがするのです。


そしていつの間にか本題もズレていました。
今日のテーマは、オージーファッションです。

先週からこっち、メルボルンは連日30度超えの猛暑を記録しています。そんな夏(残暑?)真っ盛りのメルボルンでは、男性陣も女性陣も露出度高めです。

まず、男性は、サングラス、ショートパンツ、ビーチサンダルが基本スタイルです。上はタンクトップかTシャツか襟のあるシャツ、たまにポロシャツ。ちなみに、ショートパンツは膝上が必須です。シェアメイト曰く、膝下丈は「カッコ悪い」のだそうです。膝小僧も肩の筋肉も見せて、ビーサンにグラサンで颯爽と炎天下を歩きましょう。

そして女性。こちらはバリエーションが多いのですが、基本はやっぱりサングラス、ショートパンツまたはミニスカート、あるいはサマードレス、そしてビーチサンダルです。

10代~20代のアナタは、ミニスカートや超ショートパンツ。堂々の太もも大胆見せで若さを主張しましょう。
30代~40代のアナタは、同じくスカートやショーツ、またはマキシ丈のロングワンピースで肩もデコルテも駆使して大人の魅力をアピールしましょう。
50代~60代のアナタは、膝上のサマードレスで悩殺です。
70代~のアナタは、もう誰にも止められません。

そして上記は全てナマ足です。肌を出してナンボ、な心意気が如実に見て取れます。交差点などでナマ足ガールズが揃って信号待ちしていたりする光景は、「韓流グループか!」と突っ込みたくなるほどです。いや、足の長さとか太さとかはこの際関係ないんです。ちゃんと手入れをして堂々と出しているところに拍手喝采です。

主に日本人、韓国人、台湾・香港人に見られるスカートまたはショーツとタイツの組み合わせは、オージーガールにはほとんど見られません。そもそも、日本人の好きな“重ねる”スタイル、いわゆるレイヤーは、ここではそんなコンセプトすらないかのようです。ドレスと着物というそれぞれの服装文化を鑑みれば頷けることではあるのですが。

もっとも、服を重ねて着ると考えただけで汗が噴き出すこの気候ですから、私も意地張ってタイツなんか履くのをそろそろやめなくては。

今夜もきっと寝苦しい夜でしょう。



暑すぎてまともに食事をする気にもならず、
果物ばかりを買ってきました。
これで$4.56!

2013/03/05

Day 127: RSA受講/Attending RSA course

2013年3月5日火曜

新しいシェアハウスでの生活も2週間目に突入しました。
私の一日は、シェアメイトが二人とも仕事に出た後で起床し、シャワーを浴びるところから始まります。

昨日はシェアメイトのガールフレンドと近所を散策して、郵便局や銀行、合鍵屋さんに行きました。便利なエリアで助かります。

そして今日は、RSAというホスピタリティ関連の資格を取得しにシティへ。
RSAは“Responsible Service of Alcohol”の略で、アルコールを提供するレストランやバーや酒屋で働く従業員に対し、取得が義務付けられている資格です。(過去3ヵ月の居酒屋バイトではこの資格無しでアルコールを提供してきましたが、これは違法です。)

4時間の講義の終わりに選択問題のテストを受けて、合格点なら資格取得というスピーディなコースです。50ドルの受講料は安くはありませんが、好奇心もあり、また次のバイト探しに使えるかもしれないので、取りあえず受けてみました。
結果は、20問中19問正解で無事に資格取得と相成りました。

講義そのものは、20人強の参加者をカフェに集め、冊子とDVDを併用しながら進められました。講師は実際にバーテンダー/バーマネージャーをやっている人で、実例を挙げながら説明してくれたのでなかなか面白かったです。

例えば同じお酒でも、男性より女性、筋肉質の人より肥満体質の人、若い人よりお年を召した方のほうが、酔いが回りやすいとか。
緊急入院の実に7割がアルコール関連であるとか。
未成年に酒類を提供したら、最高8,450ドルの罰金を科されるとか。
既に酔っぱらっている人に酒類を提供したら、最高16,901ドルの罰金を科されるとか。

実際、オーストラリアの飲酒に関する規制は、日本よりもずっと厳しいと思います。酔っ払いに酒類を売っちゃダメという規則とその罰金額が良い例ですね。RSA資格保持者は、アルコールの提供を拒否する術も知っておかなくてはなりません。酔っ払いに「NO」なんて言ったら余計に絡まれそうですが、そこは事を荒立てないように、しかし断固とした態度でお断りします。他の参加者とグループを作って、酔っ払い役とバーテン役でのロールプレイもしました。実際にやってみると、酔っ払いに対してやんわりきっぱり断るのはなかなか難儀です。

しかしまぁ、オーストラリアは飲酒の文化や背景や環境が異なりますから、この規制をそのまま日本に輸入するのは無理があるでしょう。大体、居酒屋のような場所で酒類提供を制限するなんて、営業妨害もいいところです。

久々に(軽く)勉強したせいか、またはシティから1時間かけて歩いて帰宅したせいか、はたまたご褒美として空けたモスカトワインのせいか、抗いがたい眠気が襲ってきました。

本日はこれにておやすみなさい。



本文とはあまり関係ないですが、
最新式のトラムの運転室はこんな感じ。